ハラッサーからの質問

ハラッサーからの質問
人は、毎日何かしらの日課を幾つかもって過ごしていると思います。ルーチン・ワークのようにそれをやらないと気が済まないのかも知れません。ご多分に漏れず、各種類のハラッサーにも、毎日毎日、何かしらのハラスメントを仕掛けてくるのが日課になっているご様子。それは、常に同じ思考をしているからでしょう。考えていることの結果、パワハラという振る舞いをしてしまう思考をしているのです。
そんなハラッサーの思考と幾つかある逃れる方法の一つをご紹介したいと思います。

ハラッサーからの質問(ハラッサーの思考、ハラッサーの対応法)

ハラッサー(パワハラをする側)の自覚

1001人以上の労働者を常時雇用しているある事業所では、衛生委員会のパワーハラスメント対策として、年一回のアンケート実施とその結果に基づき、パワハラ率が高い部署に対して聞き取り調査を実施していました。その聞き取り調査では、職場の職員一人ひとりから話を聞いていきました。そして、多くの職員からハラスメントと思われる行為をされたと指摘があった職員へは、時間を取って面接を行いました。産業医が主に面接を行い、その職員の振る舞いがハラスメント行為であることを告げて、自覚が有るかどうか確認していました。
大概のハラッサーは、お解りのように自覚は「無い」のです、ありません。口をそろえたように「指導の一環だ」とか「相手の受け取り方による(受け取り方次第だ)」と言うのは「お見事」だと思います。
呼び出して面談したハラッサーへは、その面談を受けてのレポートの提出をもとめていました。いわゆる「反省文」です。そのレポートを2年間も出し渋るヤカラがいました。その人は、役職がある人でした。一般企業で言うと課長職の人間でした。そのくらい、ハラッサーだと指摘されたことに納得がいかなかったのでしょう。

ハラッサーの質問からその思考が見える?

そんな中、あるハラッサーから反省文のレポートと一緒に質問が投げかけられました。以下のような質問でした。
  1. 怒られている側がパワハラと言ってしまえば、怒った側は悪となってしまいますが、それで怒る側の感情はどうすれよいのですか?
    優しく言っても理解されず繰り返され、強く言えばパワハラと言われます。これでも、怒られる側が正しいのですか?指摘をしようとすれば聞こえる距離でため息をつかれたりすれば感情は逆なでされると思います。
  2. 普通に指導していても、理解されず再三同様の失敗など繰り返す行為は、ハラスメントにあたらないのでしょうか?
    指導をしている側からすると精神を削られれているよう感情を受けますが?
  3. 楽しい職場になると良いですね的な事も言っていましたが、楽しさも必要ですがしめることも必要ですし、厳しさも学ぶ必要があると思います。今時の子が怒られることに慣れていないのであれば、それを教えるのが社会なのではないでしょうか?
  4. いじめのように理不尽なパワハラを受けることもあるでしょうが、指導の延長線などで感情的になってしまいパワハラと捉えられてしまうような場面もあると思います。その際パワハラを受けていると思っている側にも非はあると思うのですが、それに関しても衛生委員会として指導をするなど対応はしてくれるのでょうか?
    現状が見えてこないです。
バックグラウンドとして、この質問を投げかけたハラッサーは、看護職として就職し、数年経った中堅どころと言う立ち位置になり、1年目の新入職員に教える立場、すなわち指導するようになっていたようです。当時の新入職員は3~4名だったと思います。どうしても飲み込みが遅い人がいますが、そのうちの一人に対して集中的にパワハラ行為をしていました。ミスした時のことを執拗に責め続けていたようです。そのハラスメントを受けていた本人から話を聴きました。目の前にその人が座ったとため大粒の涙を流したのを今でも憶えています。
これらの質問からハラッサーのおおよその思考が判断できます。
怒る側と怒られる側に分かれると「判断」「ジャッジメント」していること。そして前提として、あくまでもハラッサーであるご本人自身の「指導する側」が正しく、正義があると言う信じ込みがあります。そう、思い込みです。
一方で、指導方法を知らずに指導しています。指導法については、レクチャーもなく丸投げされていることでしょうから、ある意味では気の毒と思います。好んで悪役を引き受けているとは思えません。そして、悲しいことに、指導方法を知らないのですから、「教えられる側」とどのように接すれば良いのかは、当然わからない状態でしょう。本当に気の毒です。
そして、質問内容から「厳しさも学ぶ必要があると」思っていることを窺えます。それを指導してやっているぐらいのことを考えていることでしょう。これは、このハラッサー自身が、新人である左右も知らないころに、同様の方法論で指導を受けたのでしょう。という事は、その方法を学習して来ており、その他の方法を「ご自身が学んできていない」のだから、同じことしか知らないので、「厳しい指導」をしてしまい、その指導者が「正しい」と思い込んでいるのです。指導される側にしてみれば大きなお世話です。「何もあんたに教えてもらいたくないのよ」ぐらい思っていることでしょう。
感情は荒ぶる馬車の馬

 

 

感情というしょうもなく大切なもの

これらの質問を投じたハラッサーがどのような人であるのか、質問からさらに推測することが出来るかも知れません。
まず、「優しく言っても」と書いてあるとおり、本人は優しい「つもり」なのでしょう。そして「理解されない」とあります。NLPの前提には「コミュニケーションは受け手の反応です」と言う一文があります。相手に理解できなければ、責任は話し手にあるのです。教えている相手にとって理解出来ない言葉や表現を使っているのです。この場合、相手が理解出来る言葉や表現を使わない限り、100万年経っても理解出来ません。

質問への対応は・・・

たいがいのハラスメントをする人は、自分の思い通りにコントロールしたいのです。なので、ハラッサーのまわりには、そのハラッサーの言うことを聞いてしまう人が居てしまいます。ウラを返せば、ハラスメントする傾向がある人が、自分の権威が通る環境があるとハラッサーに変貌する可能性が生じてしまうのです。
このことから、このケースでは回答をせず、無視をしました。質問者からは、委員会と接触があった時に回答がないと1〜2申し出があったのみでした。

お釈迦さまの智慧

ハラッサーへの最善の対応のうちの一つは、対応しない、無視することでしょう。なぜなら相手をする人が居なければ、一人で相撲をとっているのとかわりないのですから。そして仏教の祖、釈尊(お釈迦さま)のお話にもあります。当時、お釈迦さまを良く思わない人が、その権威を貶めようとすると、無視したそうです。そうすると、良く思わない人が一方的に悪口を言うことになり、受け止める相手がいなくてヘトヘトに疲れてしまったそうです。以後はその様なことをしなくなったという逸話です。
話し手が発した言葉や行動した行為・振る舞いを、聞き手が聞いたり見たりなど受け止めて、はじめてお互いの情報を交換し、何かを感じたり考えたりするのですから、そもそも聞かなければ私たちの中には何も起こることはないのです。